一舍三候・一候八舍――候と舍は同じものではない
『扁鵲鏡経』では「候」と「舍」がしばしば「候舍」と連記されるため、二つの近義語のように見えやすい。
しかし〈二十七候〉の末尾は明確に区別する。
舍は営衛交会が臨む位であり、候は脈息音律が出入する所である。
この一文は非常に重要である。
舍――気交はどこに落ちるのか
Section titled “舍――気交はどこに落ちるのか”前の八舍では、舍を気化節会の場所として扱った。異なる経脈、九気、真気がどこで交会し、専・勝・兼・並・和などの関係がどう成立するかを見る。
したがって舍は気交の位に重点がある。
候――私たちはどこからそれを見るのか
Section titled “候――私たちはどこからそれを見るのか”候は「脈息を揆度する器」とされ、寸関尺の二十七の観測インデックスへ配置される。
したがって候は観測窓に重点がある。
一つの気交イベントが複数の候位へ信号を残すことがあり、同一候も気行に応じて異なる舍の変化を示しうる。二者は単純な一対一対応ではない。
「一舍三候、一候八舍」が示すこと
Section titled “「一舍三候、一候八舍」が示すこと”原文はいう。
一舍三候、一候八舍は、音息高下出入である。
重要なのは数字そのものより、候と舍が明確に多対多の対応として扱われている点である。
これにより、一つの脈位をそのまま一臓腑へ直結させるだけでは『鏡経』の情報を大幅に落とす理由が分かる。診断では、気がどの舍で交会しているかと、今どの候から観察しているかを同時に知らなければならない。
診断は逆推論になる
Section titled “診断は逆推論になる”臨床で直接触れられるのは候位の脈動である。しかし知りたいのは、より深い層の気交位置と経絡関係である。
したがって『鏡経』の流れは、
候を観測 → 音律と動揺を得る → 臨む舍を逆推定 → 気化関係を判定
となる。
だから後の奇恒・揆度は、候舍の区別を前提にしなければ成立しない。
次篇では、候と舍が五十営の時間推移の中でどう系列化されるかを見る。