コンテンツにスキップ

五十営はどう二十七候を通過するのか――単点脈診から時系列へ

二十七候が二十七の固定位置だけなら、なぜ〈二十七候(二)〉は長い「気行五十営之音」を列挙するのだろうか。

原文は「謙帰周候黄鐘」を例に、質安、衆解、上躬、虞随……から衆執まで、五十の音度組み合わせを並べる。

さらに、

一経九候なら、黄鐘九候は周・格・勤・閑・密・昆・睟・断・晦……諸経も同じ方法である。

とし、最後に再び、

舍は営衛交会が臨む位、候は脈息音律が出入する所。

とまとめる。

同じ位置でも時間とともに状態が変わる

Section titled “同じ位置でも時間とともに状態が変わる”

「周候黄鐘」が常に一つの固定音だけを示すわけではない。五十営の運行に伴い、そこに現れる音度組み合わせが変化する。

したがって候位は固定センサー位置に近く、気行はそこを通過し続ける信号に近い。

位置は比較的固定し、状態は動く。

脈診は一瞬だけを触れるものではない

Section titled “脈診は一瞬だけを触れるものではない”

一瞬の「ここが強い、そこが弱い」だけでは五十営という時間概念を十分に使えない。

『鏡経』は、一つの呼吸の中で脈動がどこから始まり、どこへ進み、どの時相で移位するかを重視する。

〈奇恒〉では「一呼の脈動が姜から起こり、隴起して夷に至る」「一呼の脈動が成から起こり、再動して釈に至る」のような経路記述が現れる。

これはすでに時系列記述の文法である。イベントの起点、通過位置、幅、終点を保存する。

「流」と「注」も動きとして理解できる

Section titled “「流」と「注」も動きとして理解できる”

前文では流は会通、注は気交と定義された。

二十七候へ来ると、気は一候に停止せず、流入し、注し、さらに転出する。診るべきなのは静的地図ではなく、地図上で気がどう動くかである。

ここまでで観測装置はそろった。

次輯〈奇恒〉から、最も重要な診断問題――これらの観測のうち何を「異常」と呼ぶのか――へ進む。