「寸」はセンチメートルではない――骨度はどう人体自身の物差しになるのか
「一息で気が六寸行く」と読むと、現代人はまず六寸が何センチかを知りたくなる。
しかし『扁鵲鏡経』自身が、その問い方は適切でないと示している。
寸は骨度の比尺である。一息に脈が六寸行くのは、息動の比尺である。
鍵は「比尺」にある。
骨度は身体ごとに定める比例尺
Section titled “骨度は身体ごとに定める比例尺”人は身長も腕の長さも胴体の比率も異なる。外部の固定長だけで全員の経脈距離を表せば、体格差を気行差と取り違えかねない。
『鏡経』はまず本人の骨度から相対尺度を作る。したがって「六寸」は第一に、その人の身体比例の中での六つの分度を意味し、固定したメートル法の長さと即座に同一視する必要はない。
後の〈揆度〉でも再び、
人には長短があるため、骨度の分をもって比し、尺とする。
と述べ、手六陽・手六陰・足六陽・足六陰、さらに衝・任・督・蹺・維・帯の経隧比尺を列挙する。骨度は一時的な説明ではなく、全書の幾何学的基盤である。
なぜこの設計が重要なのか
Section titled “なぜこの設計が重要なのか”『鏡経』は同時に二種類の比較を行いたい。一つは人と人、もう一つは同一人における経脈や時相の比較である。
長さの単位を個体化しなければ、観察された差が体格由来なのか脈息由来なのか判別しにくい。
骨度比尺は、まず一度尺度を正規化する操作と理解できる。「この人の一尺」を定めたうえで、その人の気が何分度進んだかを見るのである。
皮部の位置も同じく重要
Section titled “皮部の位置も同じく重要”本文は骨度を出す際にこう言う。
測りうるものは、骨度の分と皮部の位である。
つまり測るのは長さだけでなく位置でもある。脈動が身体のどの分野に現れるか、前後・上下のどこかは、後に候、舍、気口などの定位体系へ入る。
したがって『鏡経』の測定には少なくとも、
- 骨度――「どれだけ遠いか」
- 皮部と分野――「どこにあるか」
- 息――「どれだけの時間か」
という座標が含まれる。
古代の寸を早くセンチに換算しすぎない
Section titled “古代の寸を早くセンチに換算しすぎない”古人に実長の概念がなかったという意味ではない。『鏡経』内部の算法を理解するには、現代単位への換算より比例関係が先だということである。
将来の実験では、実際の身長、骨度区分、メートル法距離を同時に記録して古書の比例が再現するか検証できる。それは検証問題であり、読解段階で先に仮定すべき答えではない。
こうして「一息六寸」は神秘的な数字ではなく、人体自身を物差しに、呼吸自身を時計にした座標系で定めた平人の基本気行尺度となる。
次篇では、この六寸を積み上げ、『鏡経』が一息から全身一周へどう拡張するかを見る。