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六寸から二十二丈三尺六寸へ――気はどう全身を一周するのか

「一息六寸」を立てた後、『扁鵲鏡経』は単一呼吸にとどまらず、その小さな尺度をすぐ上へ積み上げる。

本文はいう。

人が十息すれば脈は五十動、気は六尺行く。二十息では脈百動、気は一丈二尺行き、これを一備の気とする。

平人一息五動・六寸なら、十息で五十動・六尺、二十息で百動・一丈二尺となる明確な比例延長である。

「一息」から長時間尺度を組み立てる

Section titled “「一息」から長時間尺度を組み立てる”

発想は単純だが重要である。最小周期の比例が安定していれば、反復累積によって大きな循環を記述できる。

『鏡経』は二十息を「一備之気」とし、さらに十八備へ積み上げる。そして、

営衛の気が身体を一周する長さは二十二丈三尺六寸である。

と述べ、一周に必要な息数と脈動数も見積もる。

こうして六寸は単一呼吸の局所距離であるだけでなく、全身循環モデルの基本ステップになる。

なぜ二十二丈三尺六寸が重要なのか

Section titled “なぜ二十二丈三尺六寸が重要なのか”

この数字は後の〈揆度〉でも、別の方法から再び現れる。

そこでは人体幾何から、手六陽・手六陰・足六陽・足六陰、さらに衝・任・督・蹺・維・帯などの経隧長を足し合わせ、最後に、

すべて合わせて二十二丈三尺六寸。

とする。

ここには注目すべき内部閉環がある。

方法A:一息六寸を時間方向に累積し、全身一周へ到達する。

方法B:各経隧の骨度を空間方向に合計し、全身総長を得る。

二つの経路が同じ総尺度を指す。

ここに『鏡経』の特徴がよく現れる。

経脈長だけなら空間しか分からず、呼吸と脈だけなら時間しか分からない。作者は両者を結び、「何息のあいだに、気がどれだけの経隧を進むか」というモデルを作ろうとする。

これが後に「律」が機能する前提でもある。律は単なる音名ではなく、長短・快慢・周期を結びつける媒介になる。

現代の循環系と即座に同一視しない

Section titled “現代の循環系と即座に同一視しない”

「営衛が一周する」ことを現代の血液循環一周と同一視できるとは、本文は述べていない。営衛、真気、脈道を一つの現代生理変数に置き換えると、原書の多層モデルを失う。

より慎重には、作者が全身的な「由行」モデルを構築し、それを呼吸と骨度の両面から拘束しようとした、と理解すべきである。

この篇で覚えるべきなのは数値そのものより方法である。小周期は大循環へ積み上げられ、局所尺度と全身尺度は互いに検算されなければならない。

次篇ではこの人体循環を一日の中へ置き、なぜ十二辰、百刻、五十営を論じるのかを見る。