厥陰の人――四出一入と三分の脈
厥陰の人では、前二類とさらに異なる脈息構造が現れる。
四出一入、厥陰の人、脈律は応鐘・無射。厥陰の脈は動揺三分、分肉の所を行き、吸長く呼屢く、脈六動、気行六寸なら常。
ここでは一息六動でも正常である。
六動を単独で数脈としない
Section titled “六動を単独で数脈としない”統一基準だけで見れば六動は「速い」と判断したくなる。
しかし『鏡経』は、四出一入、吸長呼屢、三分動揺、応鐘無射という背景を同時に要求する。
六動という総数は、完全な構造の中で初めて意味を持つ。
〈奇恒〉で「陽明厥陰の脈は波湧三分」とした基準が再び一致する。
原文には「春日浮、魚の波に遊ぶがごとし」という季節的な常態描写もあり、時令背景も比較へ入る。
手厥陰と足厥陰
Section titled “手厥陰と足厥陰”営盛衛強で搖り躍るものを足厥陰、精気盛上で動くが躍らないものを手厥陰とする。
同一類型の中でも波形方向と躍動でさらに分ける。
なぜ胞絡の長い説明が続くのか
Section titled “なぜ胞絡の長い説明が続くのか”原文は手厥陰胞絡が胞中から起こり、睪系・心系・三焦へ連なることを詳述し、
胞絡は嗣育の本、原気の宗始である。
とする。
さらに男子の胞は精を蔵し、女子の胞は血を蔵すと分ける。
したがって『鏡経』の厥陰は単に肝経ラベルではなく、胞絡、原気、生殖根本まで含む広い機能網と関係する。
次篇では少陽の人へ進み、同じ六分動揺でも方向が「再入一出」へ反転する。